東京高等裁判所 平成10年(行ケ)74号 判決 1998年11月26日
愛知県名古屋市中区栄三丁目29番12号
原告
株式会社や〓
代表者代表取締役
那須資郎
同所
原告
那須資郎
原告ら訴訟代理人弁理士
岡田英彦
同
小玉秀男
同
池田敏行
同
長谷川哲哉
同
岩田哲幸
同
中村敦子
同
村瀬裕昭
東京都千代田区霞が関三丁目4番3号
被告
特許庁長官 伊佐山建志
指定代理人
廣田米男
同
小池隆
同
小林和男
主文
原告らの請求を棄却する。
訴訟費用は原告らの負担とする。
事実
第1 原告らが求める裁判
「特許庁が平成6年審判第6861号事件について平成10年1月14日にした審決を取り消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決
第2 原告らの主張
1 特許庁における手続の経緯
原告らは、平成4年9月28日、別紙表示のとおり、「や〓」の仮名文字を横書きしてなり、第42類「そば及び丼物を主とする飲食物の提供」を指定役務とする商標(以下「本願商標」という。)について、平成3年法律第65号附則5条1項の規定による「使用に基づく特例の適用」を主張して、登録出願(平成4年商標登録願第238862号)をしたが、平成6年2月28日に拒絶査定を受けたので、同年4月18日に拒絶査定不服の審判を請求した。
特許庁は、これを平成6年審判第6861号事件として審理した結果、平成10年1月14日に「本件審判の請求は、 成り立たない。」との審決をし、同年2月16日にその謄本を原告に送達した。
2 審決の理由
別紙審決書「理由」写しのとおり
3 審決の取消事由
審決は、本願商標をその指定役務に使用するときは、需要者は何人かの業務に係る役務であることを認識することができない旨判断している。
しかしながら、本願商標は、原告ら(原告会社の前身である企業及び原告那須の先代らを含む。)が、その業務に係る蕎麦店の屋号として、明治44年から今日まで使用を継続しているものである(戦時中の法律による休業期間を除く。)。のみならず、原告会社の業務に係る蕎麦店及び本願商標が、新聞あるいは雑誌においてしばしば取り上げられた結果、本願商標は、原告らの業務に係る役務を表示するものとして極めて著名な商標となっている(ちなみに、商号としての「や〓」は、大正元年9月に登記されている。また、原告会社は、昭和32年4月に設立の登記がされている。)。
したがって、本願商標は商標法3条1項6号の規定に該当するとした審決の判断は、誤りである。
第3 被告の主張
原告らの主張1、2は認めるが、3(審決の取消事由)は争う。審決の認定判断は、正当であって、これを取り消すべき理由はない。
原告らは、本願商標は、原告らの業務に係る役務を表示するものとして、極めて著名な商標となっている旨主張する。
しかしながら、本願商標が商標法3条1項6号に規定されている商標ではないというためには、本願商標が使用された結果、日本国内の相当程度広い地域において、不特定多数の需要者が、本願商標は原告らの業務に係る役務を表示するものと認識できることが必要である。しかるに、原告らが提出する証拠は、本願商標が、名古屋市を中心とする一部の地域においてのみ、蕎麦の需要者の間で広く知られている事実を示しているにすぎない。
そして、本願商標と同一、あるいはこれに類似する商標を使用する比較的知られた複数の蕎麦店が、日本国内に複数存在することは審決認定のとおりであるから、本願商標は商標法3条1項6号の規定に該当するというべきである。
理由
第1 原告らの主張1(特許庁における手続の経緯)及び2(審決の理由)は、被告も認めるところである。
第2 原告らは、本願商標は、原告ら(原告会社の前身である企業及び原告那須の先代らを含む。)が、その業務に係る蕎麦店の屋号として明治44年から今日まで使用を継続した結果、原告らの業務に係る役務を表示するものとして極めて著名な商標となっている旨主張する。
確かに、原告ら提出に係る甲第2ないし第8号証(枝番を含む。)を総合すれば、本願商標が、名古屋市を中心とする一部の地域の蕎麦の需要者の間において、原告らの業務に係る役務を表示するものとして広く知られている事実を認めるに十分である。しかしながら、これらの証拠をもってしては、本願商標が、名古屋市を中心とする一部の地域以外の地域の蕎麦の需要者の間において、原告らの業務に係る役務を表示するものとして広く知られている事実を認めることはできない。したがって、本願商標は、広く蕎麦の需要者にとって、原告らの業務に係る役務を表示するものとして極めて著名な商標となっているということはできない。
一方、被告提出に係る乙第1ないし第16号証(枝番を含む。)によれば、「やぶ」は、蕎麦屋の一系統を指す「やぶそば」の略称として、ほとんど普通名称となっていること、「やぶそば」は、甘皮の色を入れた淡緑色の蕎麦であって、「さらしなそば」と共に東京蕎麦を代表するものであること、原告会社以外にも、「藪」、「や〓」、「やぶ」の文字を含む屋号の蕎麦屋が多数存在することが認められる。
そうすると、本願商標をその指定役務に使用しても、名古屋市を中心とする一部の地域以外の蕎麦の需要者は、それが何人かの業務に係る役務であることを認識することができないというべきである。
以上のとおりであるから、本願商標は商標法3条1項6号の規定に該当するとした審決の認定判断は、正当であって、審決には原告ら主張のような違法はない。
第3 よって、審決の違法を理由にその取消しを求める原告らの本訴請求は、失当であるから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法7条、民事訴訟法61条、65条の各規定を適用して、主文のとおり判決する。
(口頭弁論終結日 平成10年10月20日)
(裁判長裁判官 清永利亮 裁判官 春日民雄 裁判官 宍戸充)
別紙
<省略>
理由
第1.本願商標
本願商標は、別紙に表示するとおりの構成よりなり、第42類「そば及び丼物を主とする飲食物の提供」を指定役務とし、商標法の一部を改正する法律(平成3年法律第65号)附則第5条第1項の規定により「使用に基づく特例の適用の主張」をして、平成4年9月28日登録出願されたものである。
第2.原査定における拒絶の理由
原査定において『本願商標は、飲食物を提供する業界において、その店名を表示するものとして多数使用されている「や〓」の文字を普通に用いられる方法で表してなるものであるから、これをその指定役務に使用しても、需要者が何人かの業務に係る役務であることを認識することができない。したがって、本願商標は、商標法第3条第1項第6号に該当する。」旨認定し、本願を拒絶したものである。
第3.請求人の主張
請求人は、原査定を取り消す、本願商標は登録すべきものとするとの審決を求めて審判を請求、その理由の概要を次のとおり主張し、証拠方法として甲第1号証ないし同第177号証を提出した。
請求人は、店舗名・屋号・商号として本願商標と同一の書体を使用、本願商標は特殊な態様で各店舗にて出店当時より現在に至るまで綿々と使用している。店舗こそ名古屋市内にしかないが、お持ち帰りの蕎麦めんも販売し、雑誌等で宣伝活動を積極的に行っている。名古屋のそば屋1号店の老舗として著名である。また、蕎麦屋の団体が発行している機関紙「新そば」の「新そば会」加盟者一覧の中には本願商標と同一の店舗は見当たらない。さらに、本店にあっては、名古屋の真ん中にあるとは思えない店構え・店舗内等建物自体にも歴史があるので、毎年年末になるとマスコミ各社から年越し蕎麦の取材を受け、本願商標が放映され多数の人の目に止まる。
したがって、本願商標は、商標の態様(文字)に特色があり、特殊な書体であるから、普通に用いられる方法で表したとは認められず、他の商標(第三者の使用商標)と混同するおそれもなく、書体のみでも特別顕著性を有する。
仮に特別顕著性がないとしても、明治36年創業以来、現在に至るまで永年に亘り本願商標(時代の変遷により右書き左書きあり)を飲食物の提供(店名・屋号)に使用しており、本願商標は、周知著名な商標であり、使用による特別顕著性を有している。
第4.当審の判断
本願商標は、別紙に表示するとおり、平仮名の「や」と漢字の「婦」の変体仮名の文字に濁点を付し、筆書きした如き書体で横書してなるものである。
(1)まず、請求人は、本願商標につき、商標の態様(文字)に特色があり、特殊な書体であるから、普通に用いられる方法で表したとは認められず、他の商標(第三者の使用商標)と混同するおそれもなく、書体のみでも特別顕著性を有する旨主張するので、この点につき判断する。
ところで、「藪蕎麦」は、「藪」系統の蕎麦屋の製品で、甘皮の色を入れた淡緑色の蕎麦切、更科蕎麦と共に東京蕎麦の代表(岩波書店発行 新村出編「広辞苑」参照)とされている。
そして、請求人提出の甲第176号証(蕎麦屋の団体が発行している機関誌「新そば」の「新そば会」加盟者一覧)によれば、「かんだや〓そば」(「〓」の字は「婦」の変体仮名の文字に濁点を付した文字が用いられている。)、「並木藪蕎麦」、「京都藪そば」と請求人の「ふくら雀の図形とや〓」又は「名古屋や〓」の店名が記載され、それぞれ「かんだ」「並木」「京都」「ふくら雀の図形」又は「名古屋」の文字を冠して自他の店名を区別しているものと認められる。
そうすると、「やぶそば」又は「藪そば」は、需用者において「藪」系統の蕎麦屋の製品で、甘皮の色を入れた淡緑色の蕎麦切」又はそのような蕎麦を出す蕎麦屋の店名と認識されるにすぎないものといわざるをえない。そして、「や〓」の文字も上記のとおり「かんだや〓」においても用いられており、蕎麦屋が使用する商標として請求人のみが用いる特殊な態様(文字)ということはできない。
(2)次に、仮に特別顕著性がないとしても、明治36年創業以来、現在に至るまで永年に亘り本願商標を飲食物の提供(店名・屋号)に使用しており、本願商標は、周知著名な商標であり、使用による特別顕著性を有している旨主張するので、この点につき検討する。
ところで、役務の中には、一定の限られた地域で営業が行われ、その地域に密着した役務(例えば、蕎麦屋・日本料理店・中華料理店・スナック・バー・喫茶店等の飲食店、美容院、理髪店等)も、多数存在し、役務に係る商標の登録制度導入前から、それぞれの地域で異なる役務の事業者が同一の役務について同一又は類似する商標を使用していることも少なくなく、かかる場合においては、当該地域については、その役務に関する取引秩序は維持されているとみられなくもない。
しかしながら、商標法における「商標権」は、日本全国において行使し得るものであることを考慮すると、前記の「同一の役務について同一又は類似する商標」が各地域に比較的知られた役務の事業者が併存している場合には、そのような商標は、競業者が役務の取引において必要とする表示であるから、特定の一役務事業者に日本全国において独占を認めることは役務の取引秩序を混乱させるおそれがあり妥当でないといわねばならず、当該役務に係る商標ついては自他役務の識別標識としての機能を有しないものとみるのが相当である。
これを本件についてみるに、請求人の主張及び請求人提出の甲第2号証ないし同第4号証、甲第6号証ないし同第8号証、甲第18号証ないし同第145号証、甲第148号証ないし同第177号証によれば、請求人は、明治36年静岡でそば屋を創業、明治38年名古屋にそば屋の店を出し、昭和6年頃より「や〓」又は「やぶ」(時代の変遷により右書き左書きあり)の店名を用いて現在に至っていること(昭和22年には蕎麦屋は一時休業、喫茶店を営業したこともある。)、昭和5年から同46年までに名古屋市内に支店、売店(現在では閉店した店舗もある)を出し、「そば及び丼物を主とする飲食物の提供」、商品「蕎麦めん」の販売していることが認められ、請求人の役務に係る商標「や〓」は、名古屋市内において需用者に知られていたものということができる。
他方、当審において職権をもって調査したところ、「そばの本」(美々卯 薩摩卯一 昭和41年10月1日刊行)によると、蕎麦屋の「藪蕎麦」は、『幕末に栃木喜連川(きつれがわ)出身の旗本三輪某が、江戸本郷千駄木の邸を改造してそば営業をはじめ、いわゆる「藪そば」の源流をつくり出した。これについて、渡辺一雄氏は明治時代の景況を次の如く説明されている。団子坂の蔦屋、東京の蕎麦屋で第一に推すのは、この店であった。維新に際し旗本三輪某がその隠居所をそのまま蕎麦屋に開店し、千五百坪の庭園に滝を造り、庭の後は一帯孟宗竹の藪があり、蕎麦道具に多く竹細工を用い、総て風雅の趣きがあり、何時のころからか「やぶ」の俗称が通り名になってしまった。惜しいかな事業の手違いで、明治末期に廃業した。東京名物詩 東京本郷四の四七公益社発行(明治三十四年九月二十七日刊)蕎麦屋の部(抜粋)藪蕎麦(本郷区駒込千駄木町・三輪伝次郎)団子坂字藪下、上に在り。都下各区に支店を有し、蕎麦屋の有名なるもの先ず指をこの家に屈す。名代は蒸籠にして打方最も固く、蕎麦通の称賛する所なり。世間では団子坂の「藪そば」で通っていたが、ほんとうの看板は「生蕎麦つたや」である。場所は団子坂を登って左折、小笠原大膳の下屋敷に接した竹藪に囲まれたところと推定されている。(現在の汐見小学校所在地の一部?)三代目三輪伝次郎は相場で失敗し、明治三十九年廃業、大連に逃れた。これより先、明治十五年つたやの連雀町支店を浅草の「中砂」(堀田)が譲り受けたが、縁あってこの看板をあずけられたのが、現在盛業中の「神田の藪」で、並木の藪、池の端の藪は近親関係、またその縁者に京橋の「藪伊豆」がある。』と記載されていることが認められる。
そして、前出甲第176号証によっても、東京に「かんだや〓」「並木藪」、京都に「京都藪そば」と競業者が認め得るところであり、それぞれ「や〓」「藪」の文字を使用しているものと認められる。加うるに、全国の職業別電話帳「タウンページ」(平成2年~同4年、日本電信電話株式会社発行)によれば、「やぶ」の店名は、うどん・そばにつき42件、飲食店につき8件、一般食堂につき4件、「藪」の店名は、うどん・そばにつき7件記載されている。
そうとすれば、請求人の本願商標が名古屋市内において周知であっても、東京等の名古屋以外の地域に同一又は類似する商標を使用する比較的知られた競業者が存在し、日本全国においては併存している以上、本願商標を商標法第3条第2項にいわゆる「使用をされた結果需用者が何人かの業務に係る役務であることを認識することができるもの」に該当するとすることは、役務の取引秩序を混乱させるおそれがあり、妥当でない。
したがって、本願商標は、その指定役務に使用するときは、需要者が何人かの業務に係る役務であることを認識することができないものといわざるを得ない。
以上のとおりであるから、本願商標を商標法第3条第1項第6号に該当するとして本願を拒絶した原査定は、取り消すべき限りでない。